markdadaoの日記

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井田淳一画伯

昨年末、先輩の今井さんから井田淳一先生のカラー刷りの画集をご紹介いただいた。1,000部限定で出版されたそうで、早速入手し、東京の母へ送付。母は富岡滞在時は、井田先生がご指導されていたいっぽの会の作品展に赴き、先生の絵に感銘を受けていたのを思い出したからである。57歳で夭折され、その残された絵は私など素人の目にも、地方の民家などを描かれたものには興味を惹かれる。
生前、いっぽの会の作品集「故郷を描く」のまえがきに素晴らしい言葉が残されていた。抜粋を記す。

処々の新しい変化には、それなりの重要な意義はあるが、その結果に簡単に順応するだけでなく過程をきちんと把握し、より良い方向へと対応していかなければならない。郷土のこの急速な近代化工事がもたらす恩恵も沢山あるが、この急速な展開が、私たちの心の充足に同時に結びつくとも考えられない。暖かい人間としての心がはね飛ばされて、希薄にならないよう気をつけたいものである。
私たちの祖先が残してくれた故郷に対する思いや、静かであった山河や田畑の自然が与えてくれた安らぎは、決して忘れてはならない。
数年後の甘楽野はどのように変化しているのだろうか。せめて、自分自身が流されてしまわないよう、前をしっかりと見つめて歩んでゆきたいものである。
さらに日常生活においても、高度な情報機関の発展は、必要以上に我々に「与える」行為を増大させ、「工夫し創造する」余裕を残してくれない感じが強い。実践し経験の伴わない知識はひ弱であり、逞しい郷土の未来を築くにはいささかの心細さを感じる。次代を担う子供達にとって、この地が住みよい希望に満ちた場所であるように、現代の私達が現実をしっかり捉えて正しく移行してやる責任がある。
いづれにしても、表面的な「形」の変化で終わることなく内面的な成長と充実、さらに精神の高揚まではかるような開発であって欲しい。その内外のリズムがくずれた時、少しずつ歪みが生じて来るであろう。

1988年8月に書かれた故郷の開発を憂う内容であった。当時はバブル景気の真最中で、あちらこちらで開発がおこなわれていた。4半世紀後の現在、変化への順応は便利さと引き換えに大事なものを忘れてきたようである。井田先生の警鐘が今でも色あせないのは、先生が画家としての人間の本質を捉えていたのだろう。