markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

多賀城市を訪問

早朝6時に11名で富岡市を出発、多賀城市へ予定の11時に到着。多賀城RCの歓待を受け、「にわばらい」(豊作祭)として昼食を頂く。
加藤会長の自宅兼店舗の2階会議室が、あいにくの小雨を避ける会場となる。会長の奥様の指導により、会員の奥様方が料理をご用意いただいた。本来は会員が1年間の御礼の為奥様方を招待する恒例の事業だったそうだが、今日は我々が訪問するので準備の為お手伝いをいただいたそうだ。

両幹事が進行を行い、会長挨拶の後、バナーとお土産の交換を行った。私も両クラブが交流をする経緯を説明。3.11からすぐに日本史跡協議会の縁のある多賀城市のRCへ連絡をとったのだが、固定電話は不通状態。携帯電話の知る由もないので、ネットで手掛かりを探した。ちょうど多賀城RCと姉妹クラブの高岡RCの事務局員さん同士がホームページ上で連絡を取られていた。そこで高岡RCの事務局員さんへ連絡を取り、多賀城RCさんの事務局員さんの携帯番号を確認。そして当時の大場会長。横田幹事さんの携帯番号を知りえて連絡をとったのがきっかけである。その後2回のボランティア訪問にて旧交を温めて、本日のクラブ訪問が実現した。

テーブルを挟み両クラブ会員同士が席に着き、被災の状況等をそれぞれが話を聞いた。実体験の内容は私達の会員にとって心深く感じるものがあったろう。「本当に全てを失うとはこのことか!」の言葉は私にとって強く印象に残った。家族や自宅、会社も失うことは想像し難い。奥様を亡くされた会員は、職場と自宅が離れており助けることが出来なかった。
ある会員は仕事先で地震に合い、長く揺れる中を自宅へ向け車を走らせた。信号機や電柱が倒れるのを心配し、前と上を見ながら運転をしなければならなかったと言う。
1200年前の多賀城での津波は今より内陸まで入り込み、被災して亡くなられた方は1000人以上とのこと。今回は約180人で、当時の人口を考えると相当な被害であった。

美味しいお餅が出された。ずんだ餅(枝豆をつぶしそれを和えるが、日持ちが悪いとのこと)・生姜餅(擦った生姜に醤油を加える)・きな粉餅・あん餅・納豆餅・雑煮餅をたくさん食べた。特に生姜餅は自宅でも作ってみたい。磯部餅は宮城では無いとのこと。
来年は多賀城RCの40周年とのこと。今後は富岡へもいらしていただき交流を深めていきたい。このようなお付き合いを深めながら、相互で地域を支援する事業を立案してゆければと考えている。