markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

人事

先ごろ話題となっているジャイアンツ球団のコーチ人事問題や、政権が交代すると大臣を決める人事から、春になると企業の人事異動や、様々な組織における人事がある。
適材適所が上手く行くと、その組織に活力が生まれ良い結果を生むため、多くの人たちは人事に関心がある。活力が生まれる背景には、選抜された人たちのモチベーションが高まることと、体系化された組織内で肩書が当事者の責任感を高揚させることにある。
しかし、名誉やプライドだけに関心があり猟官運動をする輩もいないことはない。ましてや、反対者が多数ある中で、汲々とその地位に固執する輩さえいる。無責任だと叩かれた福田康夫元総理大臣の早期退陣は、公職者としてむしろ潔く感じる。友人の桐生市議のO君の不出馬も清い。公職という地位は、推されてなるものだ。
本来ならば、野にいる本物を三顧の礼で向かい入れるのが人事であろう。青年会議所ロータリークラブライオンズクラブ等はトップ人事を1年とし、組織の膠着を回避しているのは良い例である。一般的には組織の最適人事を、個人的な感傷や好き嫌いで選びやすい。しかし個人の思惑から離れ、組織にとってのベストメンバーを選別したい。
西郷南洲遺訓に下記の様な事を言っている。

国に功労あるものには賞を与える。功労あるからと言って地位を与えてはならない。地位を与えるには、その地位にふさわしい識見を持っていなければならない。功労あるからとて、識見なき者に地位を与えると国家崩壊になる。


伝記文学者の小島直記氏が以下のことを書いている。

大臣、社長、知事・・・スティタスそのものに値打ちがあるのではなく、要はそのポストで何をしたか、人間自身の問題なのである。