markdadaoの日記

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松島トモ子の「多くの人たちとの出会いの中で」 その1

ロータリーの地区大会で松島トモ子さんが記念講演を行った。彼女は東京の恵比寿ロータリークラブのパスト会長でもある。講演内容はライオンに噛まれた話、車いすダンス、戦争直後の母娘の引き揚げの話の3部構成になっていた。女優であるが、講演もあちらこちらでやられているようで、涙を誘い感動する内容で、人を惹きつける語り口であった。

以前ライオンに噛まれており、ケニアでまたライオンに再開する企画番組に出演した。山羊の内臓をテントに吊るし、夜を待った。夜中じゅうライオンの咆哮が聞こえ、眠れぬ夜であった。しかしその声の主はディレクターのいびきであった。
1986年の1月にケニアのナイロビにあるコラ動物保護区へ、「野生のエルザ」の作者ジョイ・アダムソンの夫であるジョージ・アダムソンへ会いに行った。そして彼がライオンを見に行くと誘われ、第2ポイントで7頭のライオンの群れに出会った。そこで餌を与え食後ライオン等はそれぞれがくつろいでいた。彼女は子ライオンを見ていたら、頭を殴られた感触を残し失神した。現場を見ていた人たちは、その子ライオンの母親ライオンが、彼女の頭を割り10mほど引きずりライオンの群れの真ん中でじゃれていた。ジョージがたまたま目を離したすきの出来事であった。彼に助けられランドローバーでテントに戻ったが、頭から流れる血が止まらなかった。翌朝まで止血しながらフライングドクターのセスナを待ち、ナイロビの病院へまわされる。しかし野生の動物に噛まれ、6時間以上を経過している場合は縫合手術をしないとのこと。これは彼らが動物の腸を食べているので、ウイルスが懸念されるからだそうだ。37か所の引っかき傷と割れた頭で全治10日間の怪我とのことであったが、3日後には退院し再びジョージのいるキャンプへ戻る。
次のスケジュールはヒョウを見ることであり、スタッフのトニーの長期型テントへ招待された。夜、柵を乗り越えたヒョウが突然彼女に襲いかかり、首の骨を噛んだ。ヒョウは首を噛んで運んでくるさまを、周囲の人たちは彼女がふざけてヒョウを肩に乗せてきたと見えたそうだ。なかなか首を離さないヒョウを、日本から来たクルーのカメラマンが下駄を履いていたので、それで殴りようやく離した。血が止まらないので、フライングドクターに無理をして夜のフライトを頼んだ。条件は13台の車を用意し、その前照灯で滑走路を照らすようにとのことだった。しかし、こちらは3台しかない。彼らは「Good Luck」と言って翌朝を待つことにした。またナイロビホスピタルに戻ることになった。第4頚椎粉砕骨折で1mmずれていたら死亡または四肢が麻痺していたと言われた。しかし、またまた3日後に退院し、残りの第3場面の取材に戻った。首が折れているので身体が真っ直ぐにならず傾きながら、ジョージ達のインタビューを続けた。
これは4歳から芸能生活に入り、折れた首ではあったが、与えられた仕事は完遂するとの意識があったからだ。その後日本に戻り昭和医大へ入院。3,4か月後にレントゲン写真の説明を受けた。左が折れたとのことだが、右であると指摘を受けた。どうもナイロビの病院でレントゲン写真の裏表を間違えたらしい。

最後に、ロータリークラブに入った理由は、ライオンは嫌いになったからだと洒落を言い、客席が爆笑した。しかし、彼女ほどのプロ意識が自分にはあるはずもなく、まして血など見ればそれだけで卒倒してしまう。この爆笑を呼んだ洒落が無ければ、自己嫌悪に陥るところだった。
友人のF君が松島さんと知り合いで、楽屋へ行った時の講演直前の写真である。
続く