markdadaoの日記

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多賀城市ボランティア訪問 その4

今回は2回目の訪問のため、時間をとり地元の方の話を良く聞いてきた。
多賀城市の人口は63,000人弱ですが、今回の震災で統計上はまだ出ていないのですが、1,000人とも2,000人とも流出しているようです。被災された約8割の企業は人員削減を計り、また市内に進出した企業が復旧と移転の費用を比較計算し、仙台港から離れても道路網が確保されている理由で、コストの安い内陸へ移る傾向が出てきており、人口の流出が始まっている。また、その空いた敷地に地元資本が素早く投下され、産業構造が変わり始めている。そして経済格差も生まれてきた。
当初6月末日までに家屋の解体費用9割を国の予算で行う予定だった。従って被災家屋の所有者約700戸が申請を行っており、東北地方の寒い冬までには改築の目途を立てたいところだ。しかし、東北3県には新築の建築基準の設定が未だ確定していない。
被災家屋は築10年未満の若い夫婦が多い。津波は海底の細かな砂を巻きこんで押し寄せてきたので、海水が引く際その砂などを住宅のあらゆる隙間へ残していった。だから彼らは浸水した1階の壁紙や床板を剥がし頑張っている。家が無くなることは、その人の人格が無くなったと同然と考えているとのこと。彼らを見て見ぬふり出来ないので手伝うと、「うちは何故助けてくれないのか?」と市へクレームが殺到する。また、被災住宅の人たちが行政に助けを求めると、「住宅が嫌なら避難所に来ないさい」と言う。在宅難民は行政の支援対象外なのである。
マスコミ報道は避難所内の互助と美談を報じているが、現実はそんなものではない。最初のうちは酒を飲んで暴れる者、大声を出して走り回る者、所構わず排泄をする者、とても尋常ではなく、市内の警察官は面が割れているので、警視庁の男女の私服警官を中に入ってもらい、目に余る行為をする者をお灸をすえたり、最悪は退去させたそうだ。
問題が軽度な者ほど大騒ぎをする。従って声がする方へは行かず、声に力もなく身動きも取れない人たちへ、こちらから探しに行かなければならない。最近はボランティアも受け入れ側も落ち着いてきた。しかしゴミと蠅が増えてきた。見たこともないほど、大きな蠅が飛んでいる。夏に近づき、今回のヘドロ掃除でも臭いがきつくなってきた。それとスポイルされていた子供たちが、震災で急に不便な環境におり、精神的に可哀想だ。
5月末ごろまでは近所の人たちで支援サイクルが出来ていた。これは余分にもらった食料などを、足りない人へ回したりする相互扶助である。当初ビニール袋の中のアルファー化米の配給があり、そこへお湯を注ぎ「のりたま」のふりかけをかけて食べたそうだ。「食べ物があるかないかで、人のやる気が変わる事を知った」と言う。ドバイ・サウジアラビア・中国・韓国・フィリピンなど世界の飲料水を飲んだ。各国からのビスケットや缶詰は好評であったそうだ。
市行政は無償支援品は何でももらおうとした。今では宅急便でも送られて来るので、テントの倉庫村が出現している。
今回ボランティアで訪問した日は、震災から丁度100日目であちらこちらで葬式が行われていた。帰途、本堂も殆ど破壊されたお寺で、墓石も倒壊した中で多数の被災者の葬儀が行われていた。
行政にいくら言ってもやってもらえないので、住民が切れかかっており、地元行政側も限界が目立ってきた。避難所では公務員をメイドか使用人扱いで「オイ」と呼んで働かせ、相互にストレスが高まっている。更に悪い事に一部の人間が集団を扇動する。自ら立ち直ろうとする意志を感じさせない人達がいる。
ブログには書けない、人の道を外れた行為が先頃まであったと聞く。マスコミやネットによる日本人の美談や規律の陰に、人間としてやってはいけない事があったことも、事実として受け止めなければならない。
在宅難民など頑張っている住民の、そのやる気が復興への原動力である。何でも行政に頼るのではなく、私たちで何が出来るのか、何をしなければならないのかを、現場を見たり聞いたりし、自ら頑張っている人達に手を差し伸べ、全体が能動的に問題を解決するようになりたい。