markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

東日本大震災救援ボランティア まとめ

未曾有の震災に直面し、ボランティアが目的ではあったが現場に入る事が出来、自然の脅威に無抵抗な人間を思い知った。地域の人たちの話では、水の勢いでボートが時速100Km/h位で飛んで行き、建物に突き刺さる。流された人は衣服をはぎ取られる。しかし、1カ月を経て、現地の人達のたくましさ、明るさは想像以上であった。これからは経済の復興に、日本人が本気で取り組まなければならないと思う。
TV等の報道では、被災地の映像が多く、多賀城市は全市が被災されたとも聞いていたが、現地の人の話では3割程度と聞く。車で市内を回ったが、地震による被災(主に天井瓦の損傷)はあるものの、津波の被害を受けない地域(田園を含む)の方が多かった。むしろ停電による、例えば蘭の栽培中、温度管理が出来ず廃棄したものが多かった、など2次災害がある。この生活インフラが回復していないため、都市ガス等に頼る町なかの生活者に不便を強いる。例えば避難会場で避難者数と同数程度の人たちが、炊き出しを求めて食事時に訪れるのは、自宅避難者は雨つゆが自宅でしのげても、ガスなどがないため食事が作れないからであろう。
人の人生は神のみぞ知る、そして運命に翻弄される。多賀城RCの大場会長の娘さんは、3月11日職場から津波に追いかけられ、車で逃げていた。そうしたら砂押川の堤防が決壊し、前からも水が押し寄せてきたそうだ。どんどん車が浸水してくるので、ドアが開けられなくなる直前に車から脱出し、近所の家へ逃げ込んだ。そして数十分で帰れる自宅まで、2日間もかかって戻って来られたそうだ。その間の親御さんの心配は計りしれないが、九死に一生を得た。車ごと流され、遺体となって見つかる事も多い。その娘さんも青年会議所の会員のため、今は毎日炊き出しなどでボランティア活動をしているそうだ。

今回のボランティアチーム25名中半数が青年会議所(JC)のOBと現役であり、得意な組織力による運営によりスムーズな活動が行われた。また外人部隊ではないが、アメリカ人とドイツ人計4人のパワーは、身体付きからもエネルギッシュな働きがあった。更には、建築関係者が9人おり、作業の段取りやそのスキルの高さは、素人の眼から一目に値する。先週の県議会選挙で惜しくも落選した矢野君も参加。19歳から61歳の混成部隊であったが、指示系統がしっかりしており、お互いを信頼しあい、仲間内での文句は一つも聞く事が無かった。乗る気でなかった息子も、私が参加する事を知り、一緒に現地でボランティア活動をし、「来てよかった」と言う。そんな仲間達と一緒に行動が出来、私も感謝している。
「日本に戻ってきた外国人が被災地救援に出向く」として、地元紙(群馬県)で私たちクラブのドイツ人のイゴア君(写真右)の記事が掲載されていた。そして、上記写真も彼の撮影したものである。
終わり