markdadaoの日記

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東日本大震災救援ボランティア その2


東北道を北上し、仙台南部有料道路へ入り名取川沿いを走る。次のICから仙台東部有料道路に入ると2〜300人遺体を発見した仙台市若林区を通過。この東部有料道路の堤が防波堤の役目をしたのか、右手側の海側の被災に対し、左手側は津波の被害は少なく見えた。8時5分仙台港北ICを降りる。

ようやく多賀城市宮城県多賀城市ホームページへ入り、道路左右には片付けられた車や瓦礫を見る。とりあえず市役所へ出向く。自衛隊のトラックが玄関に横付けされる。社会福祉センターにてボランティアの受付を行っている。連絡をしてあった担当の青山さんとお会いし、すぐに作業現場の打ち合わせを会長(国際交流協会)と私が行う。

一般的には宮城県在住の方を対象にボランティアを集っているのだが、県外からの25名による集団ボランティアは前例がないようで、被災された個人宅の片付けなどが通常の作業単位だったので、瓦礫やゴミが3軒分まとまっている地区を選定された。ここならば完了するのに2日間はかかるとのことであった。その他に1家庭が追加された。
次に作業場所を確認しに、現場責任者とそのサブリーダーが1台の車で飛んでゆく。その間会長と私で、多賀城市市長へ挨拶状を届けに行く。その他のメンバーはボランティア専用の駐車場で待機する。その頃、多賀城RCの大場会長と横田幹事が挨拶に来られ、初対面となった。

現場の確認を終了した現場責任者が戻り、全員へ作業の説明と人員配置を指示する。そして現場へそれぞれ移動し、仮設トイレを設置したり一輪車や土嚢など機材をトラックから降ろす。

そこは3軒の住宅から出た家財道具と、隣を流れる用水路から運ばれてきた、車や大きな瓦礫が残っていた。この用水路にはまだ多くの流れてきた車が残っていた。


自衛隊の隊員達が状況を見て回っていた。車に取り残された遺体の検証もあるとのこと。

この地域を含め6地区を担当しているという市会議員の方が地元を良く管理されており、打ち合わせもスムーズに行われた。
9時30分に作業を開始する。ゴミの分別として燃えるゴミと燃えないゴミを、約30m先の路地の路肩へ移動することから始めた。昼近くには大きなゴミと畳を残し片付けが終了した。近所の畳が取り除かれた家の中で、持参したパンと飲み物に朝残ったおにぎりで昼食を摂らせてもらった。その自宅の方から、食後にコーヒーとポタージュスープを出していただいた。
午後はトラックへ畳や大型ゴミをゴミ廃棄場まで数回ピストン搬送を行った。その間、手の空いてたメンバーは1本離れた路地の住人からの要請で、5,6名が水に使ったコンクリート袋の搬出を行い、また近所の飲み屋街の路地の瓦礫を片付けている人たちから、困っていると懇願されてか、手助けに他の5,6名が出向いた。本来ならば災害福祉センターへ依頼事項を登録し、順番を待たなければならないようなのだが、傍で被災家具をどんどん片付けている集団がいるので、頼んでしまわれたのだろう。

(続く)