markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

東日本大震災より1ヶ月

県議会議員選挙が終わり、依頼されていた被災地への救援プロジェクトの準備に入る。
発起人の国際交流協会の会長と午前中地元市役所を訪問。企画制作課が窓口となっており、担当課長、係長らから現地状況を聞く。富岡市は全国史跡整備市町村協議会の監事をやっており、宮城県多賀城市が副会長を行っている関係から、市の職員を2名ずつ3泊4日のローテーションで多賀城市の応援をしているとのこと。現地詳細を聞こうとすると、担当を呼ぶとのことで「東北関東大震災支援プロジェクト係」係長代理が来られた。状況を聞き始めたのだが、私が事前にネットやYouTubeと内容が違うことを告げると、担当責任者であるご本人は現地へ行っていないとのこと。「実際に現地へ行かれた方を紹介して欲しい」と依頼したが、ここには居ないとのこと。「私たちは15〜17日に現地訪問をするので、現地駐在する担当者を紹介して欲しい」と依頼すると、「24時間体制で仕事をしているので、対応は難しい」とのこと。そして「ボランティアの受け入れは、現地多賀城市市役所内の社会福祉センターが窓口とやってもらいたい」とのこと。ここへ会長は数度電話をしているのだが、担当者が固定化されておらず、電話する度に人が変わるらしい。私たちのこのボランティア活動は、市長も理解しているとのことだが。
交渉の末、このローテーションリストを出してもらうこととなった。氏名と携帯番号を控え、先週帰って来られた方が、本庁隣の建屋にいる事を知りそこへ出向く。名刺もない、若手職員のKさんが懇切丁寧に状況を説明してもらった。
「10か所あった避難施設を集約し、9日以降はは3か所となった。多賀城市文化ホールも以前は500名だが、更に500名から700名増員し1200名程度になるだろう。自分たちは入退館の管理と配膳のお手伝いをしていた。」
「訪問ルートは東北道の港北ICを出て国道45号線から市役所へ辿りついた。富岡から約5時間で行く事が出来たが、福島以北からは高速道路も波打っており、走行には気をつけたほうがよい。燃料は福島の国見SAで、持っていったガソリンを入れた。」
「ズボン下を履き、マスクは毎日交換していた。5日ごろから暖かくなってきたが、夜は寒い。しかし外で働くならばズボン下はいらないかもしれない。水が不足している。自衛隊が風呂を架設で作り、避難者は8日から約1カ月ぶりの入浴が出来た。」
「避難者の夕食はカップラーメンとおにぎり1個で、並んでお湯を入れてもらう。昼はパン。同じメニューの食品を1000個以上用意しないと、配布が不公平となるので、差し入れの受け付けは出来ない。あるボランティアは、避難所の屋外で豚汁を提供していた。個人で来るボランティアの人たちがチームを作り、会場内外の安全確保などを自発的に行い、一緒に寝起きしている。避難者は新聞や雑誌などを欲しがっている。」
13日には次の職員が帰ってくるので、最新情報を再度聞くことを約束し、様々な資料をいただき御礼をし、そこを辞した。