markdadaoの日記

真空管アンプ用トランス、スマホ用衝撃吸収フィルム、RC、政治経済、読後感想など

古き新宿は?

上海のK君と共同で新規の受注を画策しており、新宿にある客先の本社を訪れることになった。K君は試作製作のため、上海ーシンセン間を飛び、昨日上海から一時帰国し、昨晩は朝の3時まで仕事をしていたそうだ。


ALTA前の交差点で待ち合わせをした。リュックのおじさんがK君。彼は上海でも日本でも姿かたちが変わらない。まったくグローバルに生きている。
昼時分のため、新宿三丁目

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の暖簾をくぐる。学生の頃から食べに来ていたので、女将に聞いたら「私が45年前に嫁いだ時からやっている」とのことであった。私はハムカツ定食に冷やしトマト、K君はカツ定食。因みにハムカツは高校時代の学食の思い出があり、K君とは荻窪日大二高の同窓生。二高のは一枚であったが、富士一のは2枚重ねであった。
残念だが、この辺りも昔の面影が無くなりつつある。その表通りはメンズファッションの三峰があり、三越沿いにはフルーツパーラー高野があり、伊勢丹沿いには書籍の紀伊国屋。裏手に入るとJAZZLIVEハウスの木の長椅子があるPit Innがあった。歌声喫茶「ともしび」に友人と入り、場違いな思いをしたこともあった。新宿ACBは当時グループサウンズの女の子の追っかけが多く、これも場違いと思った。
生まれ育ったのが新宿の端であったので、小学生のころは徒歩で伊勢丹へ行き、友達のお母さんから最上階のレストランでおごってもらった事があった。(なかなかレストランで食事なぞした事が無かったので、思い出深い)
新宿の西口はだだっ広い浄水場があったが、今の変貌は! 西口のションベン横町から東口につながるトンネルはいつも臭かった。20数年前そのトンネル内で、ギターアンプを作っているA君と偶然会った事があった。その頃は今ほど親しくなかったが、現在の運命の伏線があったのかな?
すぐそばの大ガードのコーナーは父方の本家の土地があり、父はそのそばの百人町で生まれ育ったそうだ。
哀愁と闇市の臭いがあった新宿は、今は東南アジアでしか感じる事ができない。