赤いマフラーをしていったのだが、クロークでコートとともに預けなければならなく、会で用意していた赤いポケットチーフをする羽目になった。同様な男子部がたくさんいた。因みに当時の日大二高は共学ではなく同一敷地内に男子部と女子部があり、人によっては男女の接点が極めてなかった人もいたそうな。
雨の赤坂東急ホテルの14階の会場。約50人が集合した。
社会で名前を呼び捨てできる唯一の会であった。
昔の写真に己を探すおじさんたち。
40数年前のスナップ
同一人物の現在のスナップ
今日の設営者の一人、奥島君の応援姿
おじさんおばさんの記念撮影
話を聞くと、すでに亡くなられた人もおり、こうやって参加できるのも健康に感謝。
自分は中学からこの学び舎に通学していたので、事の他思い出は深い。